奥田の生い立ち
世間的にはシャープの元総合デザインセンター長と、よくご紹介されているのですけれども、実際シャープ三社目の会社です。新卒で入社させていただいたのは家電日用品メーカーで、もう私の年代の方しかしらないと思うのですけれども倒産した会社です、エベレストっていうブランドのナショナル魔法瓶工業株式会社と言います。当時は象印、タイガー、エベレストっていわれたぐらい、ブランド力がありTVでスポンサー番組も持っていました、倒産した会社であったというか、恐ろしい経験をしました。
私を育てた会社
しかし、当時多摩美術大学を卒業したらどこでも行けたのですが、石の上には三年ということで、3年は頑張ろうと、本当に頑張りました。しかし『人間塞翁が馬』と言いますが、この経験が今の奥田の元々の礎を作ってくれました。というのは、先輩がいない訳です。倒産会社なので。10人ほどおられたデザイナーが辞められていませんでした。エンジニアもほとんど辞めていませんでした。品質管理の課長と係長だけが残っていました。工場は、それこそ5分の1ぐらいに縮小、ということで会社更生法が巻かれた会社です。とにかく図面が描けるのが私一人しかいなかったっていう状態で最初の仕事をスタート。何をつくろうかというところからスタートです。商品企画から、それをデザイン、それから設計、金型設計、ライン設計、それから出荷計画。ライン上のジグの設計までやらしていただきました。そして宣伝のための新聞の段組から、ポスター、チラシもやらせていただきました。
そして自分でつくったその商品を今度は担いで荒物屋今でいうホームセンターみたいなところへ売りに営業に行くわけです。思い出すと、未だに涙出てくるのですけれども、倒産会社の商品なんて、なかなか買ってくれません。そこで何をしたかというと、倉庫を掃除させていただくんです。そうすると倉庫に隙間が空きます。そこへ自分の創った商品を押し込みます。置いといてくださいと言って。そのうちポツポツ売れて行く。これが私のデザイン活動の一番最初でした。自分がデザインして設計して、最初はラインに流すと、ライン落ちがいっぱい出ますよね。それをラインがスムーズに流れるまで、それぞれラインの設計を組み替えたり、配置を変えたり、それから、治具を設計したりしてラインをスムーズに流れるように工夫うをしなければなりません。またあるときは、金型屋に行って、金型の電極マスターを自分で磨いたりもしました。結局、物創りの全てをエベレストで学ぶことになったんです。もし大企業の優良会社に入社していたら、デザイン部門に配1属され、俗にいうデザインしか知らない人間になっていたと思います。
最も楽しかったデザイナーとしての仕事
そして、3年間やると小さな会社では、開発する仕事がなくなり、やることが無くなるんです。だって倒産した会社で、それで会社の商品が売れて、会社が回り出すと、もうそっちを売る方が大事なってきますから。それで仕方がなく、どっか転職しようかなーと思った時に、福田環境デザイン研究所という関西では大きなデザイン会社に就職することができました。ここは松下電器の御用達会社で、当時の松下電器の多くの商品に関わることができました。ここでは家電製品から駅のデザインまで、今度は幅広いデザインの勉強をさせていただきました。 福田環境デザインはデザインのコンサル会社ですから、それこそマーケティングから、具体的な設計など様々な上流の仕事を経験させていただきました。そこでは一番小さいものでは、なんだろう、引き出しの取っ手みたいなものから、電車の駅のデザインをしたり。でも一番多かったのは現在のパナソニック、松下電気産業と松下電工などの研究所のお手伝い、多分松下のデザイナーさんよりも多種多様な商品開発の経験をさせていただきました。
シャープに入るきっかけ
シャープのマーケティングデザイン戦略LIBLEを調査研究してほしいとクライアントから依頼があり、調査研究をしている時に、シャープから逆にシャープに入らないかというお声がけがあり、この戦略が素晴らしいこともあり、最終的にミイラ取りがミイラになってしまい結果的にシャープに入社することになりました。
ソフトデザインセンター長から総合デザインセンター長
大学卒業してから3社目ですので、6年目の途中入社ということになります。シャープに入ってから、具体的な商品はあまり関わらず、デザイン戦略や新規開発の仕事が主な仕事でした。総合デザインセンターの開発部でシャープのデザイン戦略策定に参加させていただきました。そのうちに、1990年代・・・80年後半ぐらいにコンピューター業界、ニューメディア業界が活発になってきました。これからデザインも産業もマルチメディアの時代だよということをシャープの中で言い出して研究を始めました。1995年マルチメディアデザイン研究グループを6人規模で始めました。そして2000年にソフト・デザインセンターという部隊を設立させていただきました。ここではインターフェイスとビジュアルコンテンツの開発を始めたのですが、当時中型液晶デバイスがカラーになった頃なんで、会社には液晶画面に映る画像やユーザーインターフェイス等、液晶の画面に映るあらゆるものをデザインするということを言って、ソフトウェアのビジュアルデザインを始めました。そして、ソフトデザインセンター長を楽しくやっていたら、君はソフトもハードもみんな判っているのなら、シャープ全部の商品を見なさいうことで、総合デザインセンター長になりました。
総合デザインセンター長時代に得た知恵
実はこの総合デザインセンター長時代というのは7年間あるんですけれども、この時にいろんな勉強をさせていただきました。ものづくり、商品、デザイン戦略、開発、実験と言ったらシャープに対して失礼で語弊がありますが、戦略を立て実行して、そして成果としてちゃんと出す。
そんな経験から私の作った色んなシートなどのツールが今回の講座に出てきます。それを使いこなす様になるのが今回の講座の目的です。
メソッド・ツール開発の経緯
そしてそれらのツールの基になっている考えを今日はさせていただきます。それから若干大学の授業みたいに眠くなると思います。私の考え方の根本を成していることを今日1日で全部喋らせていただきます。実はこの辺りが、この京都ビジネスデザインスクール(KBDS) をやらせていただいているんですけれども、分かりにくいというところがあって、その度ごとに、改良をさせていただいおります。何でみんな分ってもらえへんねやろと悩みながら、今日は今回わかってもらわれへんかったら、もうやめようと・・しっかり悩んで、分かってもらえるように作ってきました。